(1)不動産登記制度の意義
不動産登記制度は不動産に関する権利関係を公示することを役割とする制度です。
この役割について、いつくかの観点から考察しましょう。
@不動産は最も中核的な位置を占める財貨である
土地とその定着物である建物などは、古の昔より常に最も重要な生活基盤であり、最も基幹的な生産手段でした。
また、近代化以降においては、経済の飛躍的な発展の中で、この不動産の重要性も飛躍的に増大し、公的な制度により、それをめぐる権利関係を明確にする制度を必要としました。
A近代化における資本主義と密接な関係
不動産についての公示制度が求められる理由は、近代化における資本主義の発達と関連します。
原始的な社会では、土地についてわざわざ「権利」という概念をもって捉える必要はなかったと思われます。ある土地が誰の「支配」に属するかが明らかであれば、不便はなかったでしょう。
しかし、科学技術の発達を背景とする近代化は、高度に発展した商業社会を作り出し、それに伴い近代的な所有権の確立を要請しました。
所有権が把握する機能の一部を排他的に支配するものとしての地上権や、さらに物権化を伴うものとしての賃借権などが現れることで、土地に住んでいたり、耕していたりする人が、所有権に基づく利用なのか、そうでないかを見分けることが困難な状況を生みました。
さらに、資本主義的な金融の発展と表裏一体の関係にある抵当権は、そもそもその権利者に占有する権限を与えないものなので、特に登記による公示制度の確立が渇望されるわけです。
B権利だけじゃなく不動産そのものの特定も登記制度が担っている
不動産登記制度は、単に権利の有無や帰属だけを扱っているわけではありません。
ある土地や建物についての権利を登記するためには、まずその土地や建物を特定する必要があります。つまり、その土地はどこに存在するのかを図面により明らかにし、その位置を特定することが求められるのです。建物についても同じです。
このような要請から、不動産の権利関係は、図面により構成される情報により側面的な支援を受け(日本の現行の不動産登記では14条の地図および建物所在図がそれにあたります)、また、番号を用いるなどして(地番・家屋番号・不動産番号)、ある不動産を他と区別することができるような工夫がされています。
C現在の権利だけじゃなく過去から現在にかけての権利変動も公示!?
不動産登記制度は、現在の状況だけでなく、権利変動のあり様も記録されています。たとえば、Aが土地をBに売却した場合の登記は、AからBへの所有権移転登記として記録されるので、「Bの前にはAが所有していた土地」ということまでもが明らかになります。
このことは、状況によっては、不動産を代々にわたり占有し利用してきた者を誰何する際の補助的な資料となり、実体的な法律関係の処理を側面から支援することがあります(民法187条の適用関係など)。また、AからBへの所有権の移転が売買によるのか、贈与によるのか、相続によるのか・・・、そうしたことも、それらが記録されるならば、後に紛争が生じたときには、有力な証拠や資料として機能する余地があります。
D不動産登記制度の理念は?
不動産登記制度の役割は、不動産に関する権利関係を的確に公示し、もって不動産をめぐり利害の関係をもつこととなる人々に対し、不動産に関する情報を適切に提供することにあります。
(2)不動産登記制度の沿革
@地券制度・奥書割印制度
明治初年に行われていた制度です。ただ、この制度は、不動産の権利関係を公示することを目的として、公的に管理される公簿に記録される不動産の情報を公衆に提供するという登記制度の本質的特徴を有するものではなく、私人に交付される証拠的な書面について公的な証明を与える公証的な色彩の強いものでした。
A旧登記法(明治19年法律第1号)
1886年制定の旧登記法(正式な名称は「登記法」ですが、現行法と比較するためこのように呼びます)は、地租の徴収と密接な関連をもたされて運用されてきた地券制度、さらにそれを補完して発展させた若干の公証的な制度を権利関係の公示の制度として純化させるとともに、管掌する機関も村から裁判所に変更して、近代的な不動産登記制度としての性格を明確にするものでした。
すでに旧登記法において、登記の効力が対抗要件である旨が定めらていました。物的編成主義と対抗要件主義との組み合わせによる我国の不動産物権変動法制は、ここに産声をあげたわけです。
ただし、細部においては今日と異なる点もあり、必ずしも一不動産一用紙主義を貫かず、二個以上の不動産を一つの用紙に記載することもあったし、登記事項たる権利変動は、所有権移転・質入・書入および裁判所の命令によってなされる差押・仮差押・仮処分などに限られていました。
B明治32年不動産登記法
旧登記法により発足を果たした近代的不動産登記制度をさらに発展させ、一不動産一用紙主義を徹底して登記事項たる権利の種類を拡充したのが、この明治32年の不動産登記法です。
当初、この法律のもとでの一登記用紙の構成は、五区ないし四区に分かれていましたが、1931年に表題部と甲・乙の二区の現在と同様の形式に改められました。
また、1960年には、登記簿と台帳が一元化されました。それまで不動産の物理的な現況の公的な記録は、不動産登記簿の表題部と土地台帳・家屋台帳の両方に登載されていました。これを簡素化するため、従来の土地台帳・家屋台帳の記録を土地登記簿・家屋登記簿へ移し、統合が図られました。この作業は1971年3月に完了しています。
C不動産登記制度の電子化
不動産登記制度の電子化の要請という言葉の裏には2つの意味があります。第一は、登記簿の記録を電子的に行うという要請です。第二は、登記申請を電子的な手段で行えるようにすることです。
まず、1985年には、「電子情報処理組織による登記事務処理の円滑化のための措置等に関する法律」(昭和60年法律第33号)が制定され、法務大臣が指定する登記所において、登記簿に記載されている事項をコンピュータにより登記ファイルに記録することができるものとされました(同法2条)。
これに関連して、この法律の定めるところにより登記事務の円滑・適正な運営を進めて行くため、登記特別会計法(昭和60年法律第54号)は、それに必要な経費を賄うため、受益者負担の考え方から謄本交付手数料などの登記関係手数料の改定によりその増徴の策を講じ、手数料収入を登記所に係る事務に要する経費に充てることを明確にするとともに、経理の弾力的な執行を図る必要から、これらの事務の経理を一般会計から分離して「登記特別会計」とすることを定めました。
1988年には、「不動産登記法及び商業登記法の一部を改正する法律」(昭和63年法律第81号)が制定され、法務大臣の指定する登記所においては、登記事務の全部または一部を電子情報処理組織によって取り扱うことができるものとし、この場合には、登記簿は、磁気ディスク(これに準ずる方法により一定の事項を確実に記録することができる物も含む)をもって調整すべきものとされました。
D不動産登記法(平成16年法律第123号)の成立
登記のコンピュータ化を完成させて、さらに登記申請の電子化という新機軸を導入したのが平成16年の不動産登記法です。
平成16年の不動産登記法によって、条文から「登記用紙」が消え「登記記録」に代わりました。実際に登記簿のコンピュータ化が完成したのは2008年3月でした。
この全面改正を促した直接の契機は、電子申請導入の必要からでしたが、できあがった法律の全容は、これにとどまりませんでした。法文が現代語化され、枝番号も整理され、読みやすくなりました。ただ、法律事項と政省令事項の分担の整理がなされ、「法務省令で定めるところにより」等の文言が散見され、実際のところ省令を参照しないと実務の進め方を判断しかねる場面は多い。